一歩踏み出せない理由
乳がんサバイバー てんとう虫です。
ご訪問ありがとうございます!
台風で亡くなられた方に心よりご冥福をお祈りいたします。また、被害に合われた方、ご家族みなさま、一日でも早く元の生活に戻られることを切に願っております。
このように自然災害や、不慮の事故などでその直前まで健康に過ごされていた方がなくなるニュースを見ると、日々の当たり前の生活がありがたいことだと痛感します。
月並みな表現ですが、誰にとっても一日一日が貴重な命の時間です。
乳がんという「完治」という言葉がない病気になって余計に強く思うのです。それなのに、職場復帰してからずっと辞めたい会社、なんで私は辞められないんだろう。
今日は少し苦しいけど、その点を分析してみたいと思います
■■■ 目 次 ■■■
私の役割は終わったことはわかっている
治療前は、契約社員でしたが教育担当をしていました。社歴は上司を除き最長の8年。教育担当をしていたのは3年ほどです。マニュアル作成、スタッフ指導、通常のスタッフ業務(コンサルティング業務、セミナー講師等)が私の主な業務でした。
復帰後は「教育担当は社員が行なう方針になった」と言われ、一スタッフになりました。以前社員になる話もあったのですが、第3子妊娠で話は消えました。上司はプライドが高く、自分より仕事が出来る人がキライ。私は彼女を立てながら努力しましたが、うまくいかなくなってきていたと感じていたところでした。今では教育担当でのストレスが乳がん発症に関係あるのかなとさえ思います。
それが真実かどうかは別として、私がそう思っているということでもう終わっているのです。わたしにとって会社という存在は。
もちろん会社側にとってもそうですね。復帰後に教育担当ではなくしたのですから。
「”がんになった人にとって、社会復帰が心の支えになると言われているから”復帰後もがんばって」
上司にされた、復帰に際して心ないことはたくさんあるのですが、この言葉が一番最悪でした。なぜ一般論で表現する?「待ってたよ、また一緒に働けるね」とだけでいいのに。彼女は復帰の事前打ち合わせの際、たばこを吸っていて時間が過ぎてもこず、見かねた他部署の社員が呼びにいったのです。この行動が彼女の人間性を表していると私は思います。
こんな人と一秒たりとも一緒に過ごしたくありません。
だから、もう終わっているのです。
事前打ち合わせでの仕打ちのあと、私は辞めようと思いました。ですが、復帰はいつだと、待ってるよと言ってくれているお客様に、元気な姿をお見せしてから、辞めるのはいつでもできるからと踏みとどまってしまいました。
一歩踏み出せない理由①仕事が好き
会社の仕事かと思うとモチベーションを維持するのが大変ですが、仕事自体は好きです。今は会社の枠の中での業務に違和感と虚しさと息苦しさを感じずにはいられません。でも、8年もやってきた仕事を失うことはさびしいなと思っています。
一歩踏み出せない理由②経済的な不安
辞めようと思ったとき、子供3人の教育費を含め今後経済的に支障がないかライフプランを作成・検討しました(夫はFP資格保有)。子供3人、大学までの教育費や生活費を計算し、貯蓄と夫の収入だけでもなんとかなる事が検討の結果分かりました。ただ、決して余裕があるわけではなく、予想外の出費に対応できない部分もあるかもしれません。第3子が今2歳児。先は長い。乳がんになって、人生なにが起こるか分からない経験をしたので、不安が消えないのです。
対処法は分かっている
理由①「仕事が好き」なら、辞めて独立すればいいのです。個人事業主ですし仕事がいつなくなるかも不安ですが、夫の収入だけでなんとか家族5人生きていけることはわかったのだから、怖がらずやってみればいいのです。
理由②「経済的な不安」については上記のとおり今のところ贅沢しなければなんとかなりそうなので、あまり不必要に不安になりすぎないこと。
おわりに
会社に入って8年。既に先輩は一人も残っておらず、後輩もどんどん辞めています。そのことだけ見ても、この会社に私の未来はないです。
ここまで思いを文字にしたことで、やっぱり、辞めることが最上の決断だと思いました。私は今まで人生の大一番はすべて一瞬で決めてきました。ここまでずるずるしているのははじめてです。
上司とつながりを断ちます。
後悔してからでは遅いです。
12月に辞めようと思います。
イヤイヤ期真っ最中の2歳児は、迷ったりしません。
自分の生きたい方へまっすぐ歩いていきます。
迷ってばかりのふがいない内容でしたね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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