祖母の一周忌へ
乳がんサバイバー てんとう虫です。
急に寒くなってきましたね。風邪などひかれていませんか?
祖母の一周忌でした。
最後に会ったのは治療が始まって1ヶ月頃。乳がんのような病気になると、死をより強く感じ、なんとも言葉に出来ない、命を見つめる時間となりました。
■■■ 目 次 ■■■
流されない人
真っ先に浮かぶのは、祖母のおうどん。
一口ずつ小分けに綺麗に盛り付けて出してくれました。おかわりするととっても嬉しそうに笑った顔が思い出されます。
祖母は泣き寝入りしない人でした。
旧家に生まれ、当時、格的には下とされた祖父の家に嫁入り。姑に長年いびられたため、小学生だった母を連れ実家に戻った人です。
大正生まれ。あの時代にそこまで出来る女性はなかなかいないでしょう。(実家が受け入れる家風だったことも)祖父は祖母と離縁しないために家を継がず独立しました。もし、祖父が家を捨てられず離婚していたら母の人生もまた別のものになったかも。離婚せずに我慢していたらどうなっていたのだろう。父とは出会っていなかったかもしれず、人生の選択が未来を変えること、命の奇跡を感じずにはいられません。
自分の気持ちを曲げず行動した祖母の血が私にも流れている。人生の岐路に立った時思い出したいと思います。
乳がんサバイバー目線でのお葬式
乳がんになって初めて出るお葬式。
私はここまで生きられるのだろうか。
このように扱われるのか。
骨になった姿。
自分が棺桶に既に入っているような気持ちになりました。
生きてるうちに会いに行く
既に高齢で寝たきりで過ごすことが多くなった祖母に、会いに行ったのは抗がん剤を始めて約1ヶ月のこと。会っておかなきゃ、生まれたばかりの次男とも会わせなきゃ。乳がんであることを伏せて、元気そうに見えるように努めて祖母の顔を見ると心がふるえました。
乳がんになっていなければ、子育てにかまけて機会を失っていたかも。会いに行けてよかった。
その後会えないまま、放射線治療通院期間中に祖母は亡くなりました。
おわりに
曹洞宗では一周忌を「小祥忌」というそうです。「祥」とは「喜び、楽しい」、「小」は「少し」という意味で、「小祥忌」とは「故人がなくなって1年。悲しみも少しずつ癒え、笑顔で過ごせるようになっていく時期」という意味が込められているとのご住職のお話でした。
治療が終わってもうすぐ1年。私も心から「小祥期」を過ごせるようにしたいです。
いろいろと考えさせられる日となりました。
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